2024年 03月 13日
リメイク バルーンパンツ
気が付けば、もう3月の半ば。
今年は雪が少なく過ごしやすいが、時に朝、庭に小雪を見る。
毎日、何か少しづつ手仕事をしているが、blogアップまで
気が進まないことが多い。
写真は、昨年12月の暮れに作ったパンツ。
素材は、娘の高校生の時に作ってやった8枚接ぎのスカートと
共布のマフラーをリメイクしたもの。
一旦、全部解いて型紙を置いてはいだ。
この場合アトランダムに接ぐより縞を合わせる方が効果的だな?と
作成した。
ウールなので、所々虫食いがあるが、裏から薄い接着芯を当て
同色の糸か刺繍糸で何やら刺した気がする。
もう娘に送ってしまい、よく覚えていない。
裏をつけてないので、チクチクするかな?と生成りのシルクの
着物の胴裏でぺチパンツを作った。
また、リメイク用のごちゃごちゃが少し減った。
春の兆しが・・・
料理をしてごみとなる大根、にんじん、ごぼう等の切り口を水に漬けておくと、葉っぱが出てくる。
時に大根の花が見られる。
外は寒いが、陽が当たる窓辺で野菜の切り口は元気に葉を伸ばす。
ごぼうの葉は、ビロードの様にきれいだ。
ほんの5ミリほどの切り口から、これほどのエネルギーがほとばしるとはとは!
「もう直ぐ、春だよ!」と元気づけてくれる。
大根の花はいつ咲くかなあ?
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by machis-note
| 2024-03-13 10:31
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2024年 02月 18日
パッチワークのカーディガン
今年は雪があまり降らず2月の厳寒時に春を感じる。
写真は、もう20年か?30年も前に編んだカーディガン。
残り糸をみて編み始めたもでの、大事にしている。
歳を重ねたら明るい色をというが、私はグレーとかが好きで
白や生成り、グレー系が多い。
そんな中でこうした賑やかな色合いは珍しい。
適当に編んだようだが、残り糸の量と配置は気を配った様に記憶する。
とても温かい。
おやき
私はよくおやきを作る。
中身はごぼうと人参のきんぴらや茄子とししとうや紫蘇の味噌炒め等が
多い。
冷凍したものを娘に送っている。喜んでいるようだ。
グルテンフリーとか糖質オフとか言われるが、じゃあ何を食べたらいい
のか?分からなくなる。
美味しいと思うものをは少し食べたらいいと思っている。
近くの温泉で
昨日、15時頃家を出て、また近くの里山を歩いた。外反母趾で左足の中指と薬指の当たりがしびれる。
だが重心のかけ方に気を付けたり足底をマッサージしたりして、歩くことには気を配っている。
週に2回はプールで、天気の良い日は夕方バイパスまで歩く、1回は里山歩き・・・を目標にしている。
途中、びりびりしてきたら、途中で引き返し、下にある温泉に入る。
昨日、湯に入ろうとしたら、骨と皮(ごめんなさい!)しかないおばあちゃんが独り段のところで座っていた。
私は、咄嗟に、一人で立ち上がれないな?と動き出すのを待った。
私はあちこち、ふらふらしてきたが、そのおばあちゃんはまだそのままお座りしていた。
時間が長すぎると感じ、近くに寄って桶で湯を肩に掛けながら「一人で来たの?」と話しかけた。
その方はビックリされて首を振った。だが私はお風呂に入る時は、人工内耳のプロセッサーを外すので全く聞こえず会話ができない。
近くにいた40代くらいのがっつりした(ごめんなさい!)女性を呼び寄せ、二人で抱き上げ座らせた。
館の人に繋げるが、脱衣場までおばあちゃんは歩けない状態。突然そのがっつりさんがおばあちゃんを抱き抱え脱衣場へ。
その後救急の方が3人入り事なきを得た。
頼もしい40代女性に「看護師さんですか?」と聞くと違うと。「すごい力ですね!」と私。妹さんも笑っていた。
おばあちゃんは、息子さんと来たらしい。あんなに小さい身体で一人で脱衣しお風呂の際までどうして歩けたのか?
明らかに介護施設での対応が順当と思われるが、息子さん一人で大変な日常を送っているのかもしれない。
おばあちゃんは、お風呂に入りたかったんだなあ。
娘に事の成り行きを話したら、「よく気が付いたね?」ちったん(孫が夫をそう呼んでいた)の介護が役に立ったね!」と。
介護されていた夫は、お風呂に入っている時はこの上ない幸せそうな顔だった。
自分も聞こえなくなり、あちこちに支障を感じ気を付けて歩いたりしているが、以前より困っている人に気付く様になった。
がっつりさんに感謝! いい日だった。
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by machis-note
| 2024-02-18 12:07
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2024年 02月 07日
トップダウンのエポーレットセーター
立春も過ぎ少し日が長くなったようだ。
少し前は、17時ともなると暗くなり一日が短く感じた。
何とも慌ただしい冬の一日。日が伸びるのはうれしい。
フィンランドは自殺が多いという。世界一、幸福な国であるはずが
何故?・・・・ 日照時間が関係しているとか?
若い頃は、シミになるので紫外線を避けていたが、骨にも日光が
必要とかで、最近はシミより骨が大事と思う様になった。
この季節は雪や曇りが多く、陽が照ると嬉しくて元気が出る。
太陽って大事だなあ!
数年前に雑誌で見たセーターをいつか編むつもりでコピーを
しておいた。
だが編み図を見ると何やら難解に思え、難しいかな?と数年経った。
でも、できなかったらほどけばいい。 やってみよう!
引き返し編み
難解な図は、首回りのゴム編みを編んだ次の部分。
息を止め、首っ引きで編み図と奮闘。
何度もやり直す。でもここまできた、何とかなりそう!
一目位間違っているかも? でもいい。
前後の段差ができた後は、あまり神経を使わずに あむ・・・あむ。
ポケットは別編みにしておき、裾のゴム編みで一緒に編みこむ。
何とかできたあ!
編んでみると思ったより難解ではなかった。
家にある糸
このセーターは家にある糸を何本か撚って編んだ。
糸やさんに行くと、この糸いいなと思うものがあるが、私の今の目的はものを減らすことだ。
家族がいた頃は、ものが増えようが気にもなっらなかったが、端切れや残り糸は形にしてしまおうと思っている。
少しずつ、すこしずつだが、減らしていこう!
終活等、意識しなかったが、これって私の終活意識なんだわ!
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by machis-note
| 2024-02-07 12:05
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2024年 01月 19日
かぶら寿司
かぶら寿司
毎年お正月には、地元の正月料理の他に、かぶら寿司を用意する。
私は新潟生まれだが、夫は富山生まれ。結婚して彼の家に行った正月に、初めて見るかぶら寿司が並んでいた。
生臭いものはあまり好かなかったが、義母が作ったもので初めて食べた。
数年して、自宅での正月に、何か足りないな?と毎年12月の中旬に、蕪とイナダを買い、あの時食べた味だけを頼りに
蕪ら寿司を作り始めた。義母には聞いていないが、何とかなるだろう!と自分の感だけで作った。
私流の作り方
蕪を7ミリ程度の薄切りにして塩漬けにする。イナダは塩で締めその後、酢で締める。イナダの身が締まったら斜めに薄切りにする。
飾りに人参の薄切りの塩漬けと、戻したひじきを用意しておく。人参は千切りにしておく。
麹は分量の水と塩少々を混ぜ(炊いたご飯を少し混ぜる場合もある)炊飯器で保温状態で馴染ませる。
蕪は水気をよく切っておく。人参、ひじきも同様に水気を切っておく。
全てが用意されたら、2枚の蕪の間にイナダを挟み、大き目の器に並べ、1段目並べたら麹、人参、ひじきをパラパラとかける。
その繰り返しをして最後に上にお皿等を置き重石を置く。
この時に水が上がってくるのだが、私は捨てているが栄養がありそうで勿体ないなあと思うが・・・利用法はあるかしら?
これでいいのか分からないが、ざっとこんな感じで作っている。
意外と毎年失敗はなく、亡くなった夫も喜んで食べていた。酒豪の長女も酒のつまみによく味わっていた。
義母が作ったかぶら寿司の味だけで作り続けたのだが、義母は私が毎年かぶら寿司を作っていることを知らない。
いろいろな理由で一時義母とは疎遠になった時がある。夫が亡くなり義母も一人になり、私は仕送りしたり手紙を書く様になった。
今,義母は施設に入り、あのかぶら寿司はもう作れないが、私が引き継いだ。多分、同じ味だと思う。
「お父さん!今年はこん風になりましたよ!」と夫の写真に手向けている。
雪の里山
角膜炎になりプールに行けない。
運動不足になるので、15時頃に家を出て、近くの里山を歩きに行った。
もう、夕方の里山は歩いている人はそういない。
16時15分頃には薄暗くなり、夕日が見えた。
きれいだなあ!
現在あちこち支障はあるが、リウマチの痛みもない。こうして雪の里山を歩けるだけでも幸せだ。
新潟地震の時に、電気、ガス、水道が止まり、毎日の生活にどれほど困ったかしれない。
あの時、電気がつき水が出てお風呂に入り、ガスがつき煮炊きができる当たり前の生活がどれほど幸せなことか!を思い知った。
自分で歩き、買い物に行き料理をし、手仕事ができる・・・何気ない日常がありがたい。
いろんなものが離れていき、また想いも離れていくような日々だが、全て少しのものでいいな!
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by machis-note
| 2024-01-19 10:21
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2024年 01月 13日
ゆっくり過ごすことを覚えた
師走のてんやわんや
12月の中旬に車をぶつけられた。それに固定電話が聞き取れないし、ろくな電話がかかってこないので解約し、
その後のインターネットとWi-Fiの再設定があり、サポートセンターとのやり取りが同じ頃に重なった。
保険会社や、サポートセンターとのやり取りで携帯が手から離れない。
普通ならなんともないことだろうが、私の場合、人工内耳で聞き取りが悪く電話での対応は難儀する。
「もう一度おっしゃってください!」と何回言ったか分からない。私もくじけそうになったが、相手も大変だったと思う。
サポートセンターのお兄さんは、私が人工内耳装着者というと、諦めずに何度も説明してくれた。本当にありがたかった。
普段、誰とも話すことがないので、こうした親身な丁寧な対応を、しみじみうれしく思った。ひとりでないんだと思わせてくれた。
車の件は、とんでもない所で相手は何を思ったか?車線変更してるため全面的に相手の負担になり、
長い交渉期間だったが年末ぎりぎりに解決した。
その後、右目に違和感があり眼科に滑り込みセーフ。白内障があるし、角膜炎を起こしていると。
まぶしくて目が開けられない。ああ、なんということか!
その後、買い出しに行き、娘たちにおせち料理を作った。
新年の初詣中に車中で地震に遭い、渋滞の中を帰宅。
被害はなかったが、新潟地震を経験しているので、被災者の方々の困難さが身に染みてわかる。
三が日が終わり、誰も来ない家の中で、ボーッとしている日々。やっとこんな日が来た。
弥彦神社参拝と源泉かけ流し
先日、珍しくお日様が顔を出した午後に、急に思い立ち弥彦神社に参拝に行った。45キロくらい車で走る。
参拝した後、茶店でおでんのこんにゃくを食べ近くの温泉に行く。
源泉かけ流しの硫黄の温泉だ。なんと心地よい!なんと温かい! 幸せなひと時だった。
私は今までずっと走り続けて来た気がする。身体もそうだが、自分の人生どう生きるか?を悩みながら・・・
でも、もうゆっくりしていいのだ、自分の心の赴くままに過ごしていいのだ!できるだけのことはやってきた。
そう思える様になった。
若い頃の事を思い出すことはよくある。戻りたいか?と言うと、???
何か分からないが、ずっと苦しかった気がする。
74歳になり、この安寧が得られようとは思わなかった。
殆ど一人でいる生活だが、根源的な寂しさはない。
大河ドラマで「光る君へ」が始まった。紫式部は、人も、政治も、何も信じていなかったという。孤独だったのだ。
私はそこに興味を感じた。どんな気持ちで生きていたのだろうか? どういう想いで「源氏物語」を執筆したのだろうか?
「紫式部日記」を探して読んでみようと思う。
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by machis-note
| 2024-01-13 10:43
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